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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和33年(う)110号 判決

被告人 多保田末雄

主文

本件控訴を棄却する。

理由

原判決に事実誤認、法令適用の誤りがあるとの論旨について。

しかしながら原判決挙示の証拠に依り原判示の事実すなわち「被告人は原判示の会社に、技術係、現場監督員として勤務し、同会社の請負に係る土木工事中、自己の担当する工事については、自ら工事の現場に臨み、其の着手より竣工に至る迄の間、自己の責任の下に、工事一切の指揮、監督をして来た者であるところ、かねて同会社が石川県から請負い、昭和三十二年一月二十九日着工し、被告人が現場監督の任に当ることになつた原判示橋梁の架替工事に因り、県道上を横断する用水溝(平時幅員約一・二米、深さ約一米)の橋渠が除去され、しかも、溝渠の幅員、深度が、共に若干拡大されるに至つたので、これがため、県道上を通行する諸車や歩行者は昼間は兎も角、特に夜間に於ては、架橋の除去されているのに気付かず、用水溝中に直進、墜落する虞れを多分に生じたのであるが、このような場合、工事現場の責任者たる者は、工事標識柵等を設置するは勿論、特に夜間には赤色燈を点じ、通行人に対し危険区域であることを知らしめ、以て危害の発生を未然に防止する業務上の注意義務があるに拘らず、被告人は該注意義務の履行を怠り、現場附近に通行止の標示板を掲げ、長さ約九尺、幅一尺余りの板を、道路上に置いたのみで、日没後に至るも赤色燈を点燈しなかつたため、前記着工の日の午後七時二十分頃、西方より右現場に向つて該県道上を、第二種原動機付自転車に乗車し、運転疾走して来た畑本繁(当時三十二年)を、叙上工事現場の用水溝中に転落せしめ、第二頸椎骨折及びその不全脱臼の傷害を負わしめ、これに起因する呼吸麻痺に依り、死亡するに至らしめたものである。」ことを肯認するに十分である。弁護人は「県道上に於ける危害の発生を予防するため、標識の設置その他必要な措置を講ずるのは、道路の管理者である石川県知事の責任であつて、一会社の使用人である被告人の責任でない。」旨主張するけれども、被告人の当審公判廷における供述に依れば、原判示会社は、石川県との間に、契約を締結するに当り、標識板、赤色燈の設置など、危害の発生を防止するため、県の指示する必要な措置を、自ら講ずることを条件に、本件工事を請負つたものであり、被告人は同会社の現場監督者として、前記のような設備を為すべき、業務上の責任を負担していた者であることが明白であるから、論旨は理由がない。弁護人は「被告人は電気工事人の都合に依り、日没迄に赤色燈を点けることが出来なかつたので、通行人に対し警告を与えるため、工事の現場に於て見張り番をしていたものであつて、危害を予防するため、通常人の為し得る一切の手段を尽したものであるから、危害の発生を防止すべき、業務上の注意義務の履行を怠つたものでない。」旨主張するけれども、しかしながら証人多保田他吉、証人新田三次に対する原審各証人尋問調書中の供述記載、原審第四回公判調書中証人上出忠之の供述記載、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の記載にこれを徴すれば、(一)被告人は着工の日電気商をしている実弟に対し、赤色燈の点燈を依頼した後、同人が日没迄に点燈して呉れるものと軽信し、金沢市に赴いて所用を足し、午後七時頃現場に戻り、既に日は没しているにも拘らず、未だに点燈してないことを知り、急遽実弟に対し電話を掛け、再三施工を督促したが時恰も実弟方に於ては夕食中であつて、容易に点燈の運びに至らぬうち、遂に本件事故が起きたものであつて、若し被告人に於て前記のような軽信に陥入らなかつたならば、日没迄に点燈することは、十分に可能であつたこと、(二)被告人は点燈方を督促した後、引続き工事の現場に於て、見張りをしていたが漫然現場附近に佇立していたのみであつて、例えば附近民家より燈火を借用し、これを信号の用に供する等、危険区域の存在を、通行人に告知するため、有効適切な方法を採り得たのに、そのような措置に出なかつたことを各認定するに足り、以上に依れば、被告人は、所論のように、危害の発生を防止すべき業務上の注意義務を尽したものでないことを看取するに十分であるから、論旨は理由がない。

弁護人は「本件事故は被害者の視力が薄弱であつた為、惹起したものに係り、仮令赤色燈を点じてあつたとしても、結果は同一であつたと推測されるから、畑本繁の被害に対し、被告人の責任を問うべきでない。」旨主張し、また、原審第五回公判調書中証人中田良三の供述記載、当審証人倉元外喜子の供述等に依れば、被害者畑本繁の視力が常人よりも若干薄弱であつたことを窺知し得ない訳でないけれども、しかしながら、前記中田証人の供述、其の他原審、当審証拠調の全結果を綜合すれば、(一)被害者畑本繁は、第二種原動機付自転車を運転する免状を下附され、夜間と雖もこれに乗車し、各所に往復するを常としていたこと(二)同人の矯正中心視力は〇・七であつて、原動機付自転車の運転免状を下附され得る程度であり、夜間道路上に設置してある警戒信号の赤色燈を視認し得ないような、薄弱な視力ではなかつたことを認め得るから、この点に関する所論も採用するに足りない。弁護人は「被害者が死亡したのは事故の約五箇月後で、その不摂生に依り自らこれを招いたものであつて、従つて、被告人の不注意と被害者の死亡との間には、因果関係が存在しない。」旨主張し、また原審第四回公判調書中証人津田三雄の供述記載、同第五回公判調書中証人春木靖男の供述記載に依れば、被害者は症状が軽快したので、一旦病院より退院したが、用便等の都合により、一時、コルセツトを取外したりしたことも誘因の一つとなつて、その後症状が悪化し、再度入院の上、治療を加えたが、遂に死亡するに至つたことを認め得ない訳でないけれども、前顕の各証拠をさらに精査すれば、(一)被害者の呼吸麻痺症状は、外傷に由来するものであり、注射、服薬等通常の内科的方法に依つては、何等治療の効を奏さず、特殊の物理的療法を施さなければ、当然死の結果を招く性質のものであつたこと、(二)被害者がコルセツトを取外したりしたのは、其の生理的要求に基いた結果であり、必ずしも不摂生又は不養生でなかつたこと、(三)被害者の死因は外傷に因る第二頸椎骨折及び其の不全脱臼による呼吸麻痺であり、両者間の因果関係を、中断するに足るような、特殊事情の介入は、全く存在しなかつたことを認定するに足るから、この点に関する論旨もその理由がない。そうして見れば、原判決は事実を誤認したものでもなければ、また、これがためひいて法令の適用を誤つたものでもないから、この点に関する論旨は、すべてこれを排斥せざるを得ない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条に則り、主文の通り判決する。

(裁判官 沢田哲夫 山田正武 辻三雄)

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